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東京地方裁判所 昭和60年(ワ)2169号 判決 1986年1月31日

原告

亀井政男

右訴訟代理人弁護士

大森鋼三郎

大森典子

多田貞治

被告

株式会社三菱銀行

右代表者代表取締役

山田春

右訴訟代理人弁護士

伊達利知

溝呂木商太郎

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し、金六六〇万円及びこれに対する昭和六〇年三月八日から完済に至るまで年六分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  (当事者)

被告は、両替その他銀行取引を業とする会社であり、原告は、被告町田支店に普通預金口座(口座番号二八八―四一二八三〇一、以下原告預金口座という)を有し、同支店から普通預金通帳(以下原告預金通帳という)の発行を受けている者である。

2  (本件預金の成立)

(一) 訴外菊池建設株式会社(以下菊池建設という)は、被告自由が丘支店と当座勘定取引契約を結び、同支店に当座預金口座(口座番号九〇〇七五一五、以下菊池建設口座という)を有していた。

(二) 原告は、昭和五九年一一月一四日、被告自由が丘支店に対し、同支店が支払人になっている菊池建設振出の小切手四通(額面二〇〇万円のもの三通、額面六〇万円のもの一通、額面合計六六〇万円、以下本件小切手という)を呈示して小切手金の支払を求めるとともに、原告預金通帳を提出して、原告預金口座への入金を依頼した。

(三) 当時、菊池建設口座には金九九五万〇二二八円の預金があって、本件小切手の支払が可能であつたため、同支店は、本件小切手の支払をなし、原告預金口座に金六六〇万円を入金し、その旨原告預金通帳に記帳した。したがつて、右時点で金六六〇万円の普通預金が成立した(以下本件預金という)。

(四) しかるに、同支店は、一方的に原告預金通帳の右入金記帳を抹消し、本件預金の成立を否定し、預金の返還に応じない。

(五) 被告は、当時菊池建設口座には本件小切手を支払う預金がなかったと主張するが、右口座に金九九五万〇二二八円の預金があつたことは事実であり、仮に被告が主張するように、菊池建設から使途の指定があつたとしても、これをもつて第三者である原告に対抗できるものではなく、菊池建設から本件小切手の支払委託を受けている被告は、菊池建設口座に預金がある限り、本件小切手の支払をなす義務がある。したがつて、被告は本件小切手金の支払を取り消すことはできず、原告預金口座への入金も否定することはできない。本件預金は成立したというべきである。

3  よつて、原告は被告に対し、本件預金六六〇万円及びこれに対する本訴状送達の翌日である昭和六〇年三月八日から完済に至るまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払をもとめる。

二  請求原因に対する認否並びに反論

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2の、(一)の事実は認める。

同2の、(二)の事実は認める。

同2の、(三)の事実は否認する。但し、一度原告預金通帳に金六六〇万円の入金記帳がなされたことは事実であるが、それは後記のような誤つてなされたものであつて、本件小切手の支払がなされ、原告預金口座に原告主張の金員が入金されたわけではない。

同2の、(四)の事実は認める。

同2の、(五)の主張は争う。

原告預金通帳に一度入金記帳がなされ、それが抹消された経緯は以下のとおりである。

(一) 昭和五九年一一月一四日午前一〇時三〇分ころ、被告自由が丘支店は菊池建設の菊池嘉吉社長から、同社が前橋地方裁判所太田支部の仮処分決定をもつて支払を差し止めた同社振出の約束手形のうち、同日支払期日の額面四八〇万円(手形番号BD〇五三六〇)及び額面五二〇万円(手形番号BD〇五三六一)の二通(以下本件約束手形という)は同社の手違いによるもので、同日右二通の手形の支払資金一〇〇〇万円が被告池袋支店より被告自由が丘支店の菊池建設口座に振込送金されるので、これで右二通の手形を決済して欲しい旨依頼を受けた。

(二) 被告自由が丘支店は、菊池建設からその旨の念書を徴したうえでこれに応じることにし、同日午後二時二〇分、菊池建設に乙第一号証の念書を作成させた。また同日午後二時三七分、菊池建設口座に被告池袋支店から有限会社新栄商事名義で金一〇〇〇万円が振込送金されてきたので、被告自由が丘支店営業課長小島利明(以下小島営業課長という)の前記約束手形の決済作業に着手した。

(三) 他方、原告は、同日午後一時四〇分ころ、被告自由が丘支店の貸付課に来訪し、仲田国昭貸付課長に菊池建設の預金残高の有無を尋ねたので、同社の資金状況を承知していた同課長は、即座に残高はない旨答えた。

(四) 次いで、原告は、同日午後二時五五分ころ、同支店一階の預金窓口において、田巻優子行員(以下田巻行員という)に本件小切手のうち額面六〇万円の一通を示して残高はあるかと尋ね、同行員がオンライン端末機を操作して菊池建設の当座預金残高を照会したところ、金九九五万〇二二八円の残高回答があつたので、原告に落ちる旨答えた。すると原告は更に三枚の小切手と原告預金通帳を出して、原告預金口座に本件小切手四通額面合計金六六〇万円の入金手続を依頼した。

(五) そこで田巻行員は、前記端末機を操作して菊池建設口座から金六六〇万円の引き落しと同額の原告預金口座への入金の処理手続きをし、この処理手続について小島営業課長の承認を得る過程で、右処理の誤りが発見され、直ちにその訂正処理手続がなされ、原告には本件小切手金の支払はできない旨告知された。即ち、菊池建設口座には、前記約束手形を決済するよう依頼された資金しかなかつたのである。

当座勘定取引契約において、銀行は、契約相手の当座預金残高が存する限度で契約相手がその銀行を支払人として振出した小切手類をその契約相手のために支払う義務を負うが、第三者たる小切手の所持人に対し支払いの責めを負うものではない。また、仮に本件小切手の預入れによる預金の成否を考えてみても、預入れの当日中に不渡りの告知がなされている本件では、判例(大阪高等裁判所昭和四二年一月三〇日判決)に徴しても預金の成立は否定される。

第三  証拠<省略>

理由

一請求原因1の事実は当事者間に争いがない。

二そこで本件預金の成否につき検討するに、菊池建設が被告自由が丘支店と当座勘定取引契約を結び、同支店に当座預金口座を有していたこと、原告は、昭和五九年一一月一四日、同支店に対し、同支店が支払人になつている菊池建設振出の本件小切手四通を呈示して小切手金の支払を求めるとともに、原告預金通帳を提出して原告預金口座への入金を依頼したこと、原告預金通帳には一度金六六〇万円の入金記帳がなされた後、右入金記帳が抹消され、被告は本件預金の成立を否定していること、以上の事実は当事者間に争いがなく、右事実に、<証拠>を総合すると、以下の事実を認めることができ、右認定に反する証拠はない。

1  菊池建設は、被告自由が丘支店と当座勘定取引契約を結び、同支店を支払人、支払場所とする小切手、約束手形を振り出していたが、同社振出の約束手形一六通につき、訴外熊谷孝を債務者、被告他一名を第三債務者として前橋地方裁判所太田支部に対し、約束手形処分禁止の仮処分申請をなし(同裁判所昭和五九年(ヨ)第五八号事件)、同裁判所は、昭和五九年一一月九日、債務者は当該約束手形を取り立て、または裏書譲渡その他一切の処分を、第三債務者は当該約束手形に基づく支払を、それぞれしてはならない旨の仮処分決定をした。

2  右仮処分決定の送達を受けた被告自由が丘支店は、右決定に記載された約束手形については、所持人が仮処分債務者以外であつても手形金の支払いをしない取扱をしていたが、同日一四日午前一〇時三〇分ころ、菊池建設の菊池嘉吉社長から電話で、同社が仮処分決定で支払いを差し止めた同社振出の約束手形のうち支払期日が同日の本件約束手形二通(額面合計金一〇〇〇万円)は同社の手違いによるものであるから、本日被告池袋支店から振込送金される金一〇〇〇万円で本件約束手形二通(この二通はいずれも前記仮処分決定に記載されていた。)を決済して欲しい旨の依頼を受けた。

3  右依頼を受けた被告自由が丘支店は、本社とも打ち合わせ、菊池建設に右依頼の趣旨を念書で明確にさせたうえでこれに応じることにし、同日午後二時二〇分ころ、同支店に来た菊池建設の梁島社長室長に、本日被告池袋支店より振り込まれる金一〇〇〇万円で本件約束手形を支払うよう依頼し、万一この取扱により紛議等が生じても被告には迷惑をかけない旨の念書(乙第一号証)を書かせた。その後午後二時三七分、話の通り被告池袋支店より被告自由が丘支店の菊池建設口座に金一〇〇〇万円が振込送金されてきた。

4  右一〇〇〇万円が入金になる前の菊池建設の当座預金の状況は、前日一三日に呈示された小切手二通合計金六六万五〇〇〇円も一四日の朝一番で金五九万円を入金することでようやく決済する程で(この決済後の預金残高は金八二二八円)、一四日の一番目に金五万八〇〇〇円の小切手が呈示されたもののこの決済資金はなく、菊池建設は右小切手は依頼返却して貰うことになつていると被告側に述べていた。

5  被告自由が丘支店の小島営業課長は、振込送金された金一〇〇〇万円で既に呈示されていた本件約束手形の決済作業に入つたが、被告のオンラインシステム上では、支払呈示が入力されたものは現実の支払がなくても直ちに預金から引き落とされる仕組みになつているため、右金一〇〇〇万円が入金されると同時に前記金五万八〇〇〇円の小切手金が引き落とされて、オンラインシステム上の預金残高は金九九五万〇二二八円となつてしまい、本件約束手形を決済するには資金が不足する形となるので、右金五万八〇〇〇円の小切手が依頼返却されるのを待つていた。この小切手の依頼返却がなされたのは、同日の午後三時であつた。

6  原告は、同月一四日午後一時四〇分ころ、被告自由が丘支店を訪れ、仲田国明貸付課長に菊池建設の預金残高の有無を尋ねたが、これを承知していた同課長により、直ちに残高はないと回答された。

そこで原告は、閉店間際まで待てば菊池建設口座に入金があるかも知れないと考え、同日午後二時五五分ころ、今度は預金窓口に赴き、係の田巻行員に本件小切手のうち額面六〇万円の一通を示して菊池建設の預金残高を尋ねた。同行員がオンラインの端末機を操作して、菊池建設の当座預金残高を照会したところ、金九九五万〇二二八円の残高回答があり、菊池建設から本件約束手形を決済するよう依頼されていた事情を知らされていなかつた同行員は、右残高回答を見て、原告にその小切手は落ちる旨答えた。そこで原告は、本件小切手四通と原告預金通帳を提出して、本件小切手金の支払と原告預金口座への入金方を依頼した。

7  そのため田巻行員は、前記端末機で、同日午後三時〇二分ころ菊池建設口座から金六六〇万円の引き落しと、同金額の原告預金口座への入金操作をし、このとき原告預金通帳に金六六〇万円の入金記帳がなされたが、コンピュータには予め、菊池建設口座からの引き落としには小島営業課長の承認を要する旨の登録がなされていたため、他の係員を通じて別室にいた小島営業課長に右引き落とし処理の承認が求められた。

8  右承認を求められた小島営業課長は、菊池建設口座に入金された金一〇〇〇万円が他の用途に使用されようとしているのを知つて驚き、直ちに右処理の訂正手続きを指示し、これにより同日午後三時〇八分、菊池建設口座からの引き落としが取り消され、次いで原告預金口座への入金が取り消された。それとともに同課長は、自ら原告預金通帳の前記入金記帳を抹消して、原告に対しこれを返還し、本件小切手は資金不足のため支払いできない旨告知し、本件小切手に支払拒絶の付箋を付けて返還しようとしたところ、原告が付箋は付けないで欲しい旨言つたため、そのまま本件小切手を原告に返還した。

また前記のように、これより少し前の同日午後三時ころ、金五万八〇〇〇円の小切手が依頼返却されたため、被告自由が丘支店は、菊池建設の依頼どおり本件約束手形二通の決済を行つた。菊池建設は、その数日後倒産し、被告との当座勘定取引も終了した。

9  被告が顧客との間で結ぶ当座勘定取引契約では、預金残高を越える手形や小切手の支払呈示があつたときは、被告はその全部につき支払拒絶をすることができ、一部を支払う場合でもそのいずれを支払うかは被告の任意とする旨の約定がなされているが、呈示されたものでも依頼返却の手続がなされる手形や小切手もあるため、どの手形、小切手を決済するかは顧客の意向を聞いて決めているのが実情である。

三原告は、本件預金成立の前提として、被告自由が丘支店によつて本件小切手金の支払がなされたと主張するので以下判断するに、なるほど前項で認定したところによれば、原告から本件小切手金の支払と原告預金口座への入金を依頼された田巻行員のオンライン端末機操作により、菊池建設口座から金六六〇万円が引き落とされ、同金額が原告預金口座に入金処理され、原告預金通帳にその旨の入金記帳がなされているのであるが、右は小島営業課長の承認を得る段階で訂正処理がなされ、同課長により原告に本件小切手の支払拒絶が告知されているのである。そうして田巻行員の端末機操作からこれが訂正されるまでは約六分間であり、この間原告が関与するところは何等なかつたのである。

そうしてみると、一度菊池建設口座から金六六〇万円が引き落とされ、原告預金口座に同金額の入金があつたといつても、それはオンラインシステムの計算上でのことにすぎず、現実の支払をするための被告銀行内部での準備行為にすぎないものというべきであつて、その行為の一環としての担当役職者(ここでは小島営業課長)の承認を得る段階で、本件小切手金の支払はしないとされ、その旨原告に告知されている以上、本件小切手金は未だ支払われていないものと解するのが相当である。支払という以上なんらかの形で占有の移転があり、これを受けた者は直接ないしは間接に支配しうる状態になるのが通常であるが、本件では、田巻行員の端末機操作から訂正処理がなされるまで、原告は全く関与しえない立場に置かれており、原告が本件小切手金六六〇万円をいかなる形でも支配しうる状態になつたことはなかつたのである(このことは前記のように金五万八〇〇〇円の小切手呈示により、実際には支払われていないにもかかわらずオンラインシステム上では菊池建設口座から引き落とされているのと同じである。)。したがつて、本件小切手金が支払われたとする原告の主張は認め難いと言わざるをえない。

原告は、菊池建設と当座勘定取引契約を結んでいた被告は、当時菊池建設口座に金九九五万〇二二八円の預金残高があつた以上、菊池建設の用途の指定いかんにかかわらず、本件小切手金の支払をする義務がある旨主張するところ、被告が菊池建設と当座勘定取引契約を結び、オンラインシステム上当時菊池建設口座に同額の預金残高があつたことは既述のとおりである(実際には金五万八〇〇〇円の小切手は支払がされていなかつたのであるから預金残高は金一〇〇〇万八二二八円とみることもできる。)。しかしながら、銀行が当座勘定取引契約によつて呈示された手形や小切手の支払義務を負うといつても、それは契約相手方たる振出人に対して負つているにすぎず、たとえ預金残高がある場合であつても直接手形や小切手の所持人に支払義務を負うものではない。まして本件では、原告から本件小切手金の支払が求められた当時、菊池建設口座には特に本件約束手形を決済するよう依頼されて入金された金一〇〇〇万円(オンラインシステム上では金九九五万〇二二八円)以外には決済資金はなかつたのであるから、原告に対し本件小切手金の支払を拒絶したことは当然の措置というべきである。原告の主張は採用できない。

四はたしてしからば、本件小切手金の支払がなされたことを前提とする本件預金の成立も否定されざるをえないのであるが、これは本件小切手の預入れによる預金の成否という見地からみても結論を異にしない。すなわち、本件では本件小切手が原告預金通帳とともに被告側に提出され、一度は右通帳に入金記帳がなされたものの、原告に交付される前に抹消訂正され、不渡りの告知とともに本件小切手と原告預金通帳が返還されているのであるから本件小切手の預入れさえあつたか疑問であり、まして本件小切手の預入れによる預金が成立したものと解することはできないのである。

したがつて、原告の本訴請求はその余について判断するまでもなく失当といわざるをえない。

五よつて、原告の本訴請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官大橋弘)

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